オープンマイク、当日受付と抽選について。

今回のUPJ4のメインは「詩上最大のオープンマイク」です。

オープンマイクってなに?それは事前、あるいは当日にエントリーすれば誰でも自由に参加、表現できるパフォーマンスイベントの形態です。

誰でも。です。

過去のUPJでは、事前に詩(作品)を送っていただいたり、UPJ3出演権獲得のためのイベントをやったりしてきました。

そうすることによって、UPJに出演するモチベーションが上がり、当日の盛り上がりへと繋がりました。

けれども、心の底で「詩、言葉」という心そのものを表現したものに、判断を下す(ある意味で)ことを心苦しく思っていました。

もちろん、1日のうちに出演できる数は、いくら長時間イベントとはいえ、限りがあります。
それゆえに、出てただく方を「選ばせて」いただいてきたわけです。

でも、UPJ4では、それを思い切ってやめることにしました。

「誰でもWELCOME!」

6月27日のステージが、初の人前朗読になる人もいるかもしれません。いえ、そんな人こそ大歓迎です。

UPJには、何の権威もありません。出たからって、賞金もないし、詩集が出版出来るわけでもないです。でも、出会いがあります。

そして

「自由」と「聞かれたい心と言葉」と、「それを受け取る耳と心」があります。

「抽選って、どれくらいの人数が集まるんですか?出れる確率は?」という
質問を何度もされました。

当然ですよね。

それに対するUPJスタッフの答えは

「抽選開始の時間に合わせて早めに来てくれれば、出れる確率は高いと思います」

です。

「なぜ、先着順にしないんですか?」

「早朝から人が集まって公園や近隣に迷惑をかけることがないように、そして遠方の人が不利にならないように、という配慮からです。」

受付は10時からです!

お待ちしています!

UPJ4開催に向けて、会場の使用規制、マナーなどについて。

事始で、UPJ3へ至る経過を書かせていただきました。

そしてUPJ4開催の日まであと10日になりました。準備は、ぐるりんぐるぐるとショートカットしたり、遠回りしたりしながらも進んでいます。

ここで、UPJ4に関してお知らせしておいたほうがと思うことがいくつかあります。
まずは、開催会場である上野恩賜公園野外ステージの使用規則のことです。UPJ1,2の時は
事始でも、書いたように、会場自体があまり知られていなかったようで、抽選の列に並ぶこともなく、簡単に使用予約が出来ました。

それがUPJ3の頃には、何回も抽選の列に並び、ようやくGET!という超人気会場に変わっていました。

人気が出て、様々な団体が使用するようになったためでしょう、周辺地域の方々からの苦情が少なからず出てしまったようです。

今回、UPJ4開催準備のために数度、下見に行き、会場管理の方とお話をしたのですが驚くほど規制が強くなっていました。楽屋前にはたくさんの禁止事項が書かれた紙が貼ってありました。

会場内でのアルコール類飲食禁止。(UPJ1の時はビールの屋台を出しても大丈夫でした)
ゴミの処理。(UPJ4では来場の方に袋をお渡しします)
そして、音量規制。客席後方に音量計測器が備え付けられていました。

つまり、いわゆるフェスティバル的な催しをするのが難しくなっていました。

でも、考えてみれば、上野恩賜公園野外ステージは公共施設です。だからこそ、格安の使用料で使うことが出来るのです。

公共のホールや会館のイベントだったら客席でビールを飲んだり、ゴミをそのまま椅子の周りに、捨てたりしませんよね。

だから、本来のあるべき形になった(規制、禁止という言葉が残念ですが)のだと思います。

UPJは、「言葉のパフォーマンス」のイベントです。大音量は必要ありません。アルコールを飲まないと楽しめない、踊れない?なんてこともありません。

会場の外の不忍池の水面には、蓮の葉が広がり、それは見事な眺めになっています。屋根つきの会場は雨の心配もなく、心地よいです。

そして、18時以降を予定しているゲストパフォーマンスは、はっきり言って、かなりのクオリティのものになるでしょう。

たくさん楽しみに来て下さい。放たれる言葉を感じて下さい。出会って下さい。そして

「こころに、ひとつ、ことばの おみやげ!」を持って帰って下さい。

UPJ事始その5。

夢のように過ぎた2000年の夏。
楽しかったね。でも、超大変だった。
みんな、仕事しながら、ほんとうにがんばった。

よかった。
よかった。

そうして迎えた冬。

ある人がいいました。

「来年はやらないの?」

別のある人もいいました?

「また、やらないの?」


ええええ!
また、やりたいんか?
あの、大変な日々をもう一度?

上野公園に電話しました。
「空いてる日ありますか?」
「8月18日が空いてますよ」

ウエノポエトリカンジャム2開催決定!

というわけで、また始まった怒涛の日々。
でも、イベント自体の形や運営方法は、もう決まっていたし
前回が好評だったせいか新しくスタッフになってくれる人も、ど〜んと増えてました。
もちろん出演希望の方もほぼ倍増。

当日は、夕方から雨が降ったけれど、それでも動員600人!
再び、最高の日を過ごすことが出来たのでした。

あ〜良かった。

その後、私、さいとういんこは
SHINJUKU SPOKEN WORDS SLAM

http://www.marz.jp/ssws/

を始め、を個人的には妊婦になったりしていた時。

馬野 幹のブログで
「上野公園の野外ステージでなんかやりたい」という文章を発見。
メールしたのでした。。。「ウエノポエトリカンジャム3をよかったらやってくれませんか?」

その頃には上野公園の野外ステージは超人気になっていて
土日の開催権を獲るには、抽選に並ばないといけない状況になっていました。
馬野チームは、何回も抽選の列に並び、そしてついにGET!

ウエノポエトリカンジャム3開催決定!

                               文責 さいとういんこ

UPJ事始その4。

さあ、やるぞ。ニューヨークでパワーをもらい、揺るぐことなく前進!

とうとう、その日はやってきた。
2000年9月3日。空は少し秋の色が混じった濃い青。不忍池は、巨大な緑の葉におおわれハスの花が満開。

開場に向けて、すべての準備が進み、そして12時。

「お客さん、いっぱいいるね。ぜんぜんさみしくないね」
スタート時にすでに、充分な数の人が集まってくれていた。

進んでいくプログラム。

マイクの不調が少し(申し訳なかった)。
ステージ上に乱入あり(ステージ係の素早い対応がかっこよかった)。
強引な飛び入り参加(なんとか、こなした)。

そして、ラストに向けて、特別にお願いしたドラァグクイーンのパフォーマンス。
トリは、三代目魚武濱田茂夫の登場!ステージから客席に本を投げる!投げる!


終了は20時30分。

見事な撤収作業。


終わった。
たぶん、成功。

次の日から、季節は突然秋に変わったのだった。

続く。                   文責 さいとういんこ

UPJ事始その3。

さて、始まった怒涛の日々。

けれど幸運だったのは、ポエトリーリーディングに集まってきている人たちとその周辺には、いろんな得意分野を持つ人たちがいたということ。

デザイナー、音楽関係、出版関係、テント屋さん、酒屋さん,事務職、WEB制作、そしてプロの漫画家まで。

デザイナーがロゴを作り、出版関係者が、パンフレットを作り、音楽関係者が音響舞台まわりを担当し、WEB制作者がHPと応募フオームを作り、「なんきん」さんが、イメージキャラクター「ぽえ」と「りー」を作ってくれた。

そしてたくさんの人がフライヤーの配布を手伝ってくれた。

赤字覚悟だったのに、スポンサーさんも、個人の方のカンパもたくさん。
会社のコピー機を「いくらでも使っていいよ」って言ってくれた社長さん。

いま、思い出しても、うるうるしてくるぐらいの協力とチームワークだったのだ。

そしてミーティングは、今はなき西荻窪ハートランド

2000年の春から夏の数ヶ月は、特別な数ヶ月になった。

一般の出演者は、事前に応募してもらい、ゲストに出て欲しい人には交渉と連絡。
ゲストのギャラは「交通費」だけ。それすら、「いらない」と言ってくれた人もいた。

そして7月に私はニューヨークへ行った。
「ニューヨリカンポエッツカフェ」のオープンマイク&スラムに行き、その自由で、暖かな雰囲気に圧倒された。
出演できるのは5組だけなのに、観客は300人以上。みんなが本当に楽しんでいた。ラッパーも、ひとりで詩の朗読をする人も、演劇っぽい人も、日本からの飛び入りグループ(私たち一行のこと)もいたけれど、客席は、どれもを好奇心と、輝くような表情で受け止めていた。

文化のちがい?そう。
だけど、日本にだって東京にだって、こういう場所があったらいいのに。最高なのに。心からそう感じながら帰国したのだった。

続く。